( Fermentators Tourism )

発酵ツーリズム

  • 東京にも雪がちらついたという冷え込みの厳しい週末が明けて、久々の晴天に恵まれた秋田県南部。この日、東京から一人のフランス人が初めて発酵都市の舞台である湯沢市と横手市を訪れた。彼女の名前はzoe。東京・目黒にあるレストラン“Kabi”のソムリエだ。日本贔屓で、好奇心が強く、忙しい仕事の合間にも日本全国を旅していると言う。

    発酵都市は、溢れる好奇心やたゆまぬ探究心と相性が良い。この土地の食や文化は、掘れば掘るほど面白い。奇しくも連日の降雪のおかげで雪景色の様相を呈した町並みを、白い息を吐きながら歩いてみれば、そこかしこで不思議な出会いにきっと恵まれるだろう。

    日本に移り住んでから初めて間近で見た雪景色に、寝不足気味ながら興奮する彼女を最初に案内したのは、湯沢市にある“山内家住宅”。発酵都市に集うフーディスト達の拠点としてリノベーションする構想について話すと、長距離移動の疲れを忘れたように興奮した様子だった。

    昼時のピークをやや過ぎたところで、空腹を満たすべく横手市増田の“つばくら食堂”に立ち寄った。この店の看板メニューである十文字ラーメンは、周辺地域のご当地ラーメンだ。あっさりと透き通っていながら出汁がしっかりと効いたスープは、この寒さで余計に染み渡る。出汁は鰹節や煮干しをはじめ様々な材料を用いているそう。「煮干しはこうやって頭、内臓、骨を取ったものを使うんだよ」と店主が実演してくれた。秋田弁で気さくに応じてくれるご夫婦の人柄もこの店の大切な楽しみの一つかもしれない。

    体も暖まったところで、昔ながらの家屋が残る増田の町並み散策へ。数分歩いたところで、“旬菜みそ茶屋 くらを”と書かれた看板が目に入る。地元の麹屋直営の茶屋を切り盛りするのは、麹屋育ちの女将・鈴木百合子さん。スイーツ好きのzoeがチョイスしたのは味噌キャラメルソフト。甘じょっぱさと、ふりかけられた煎った麹の香ばしさが楽しい。この煎った麹を用いた“くらを麹茶”も頂く。発酵を知り尽くした麹屋育ちの女将・鈴木百合子さんのセンスと伝統の知恵や技の織り成すハーモニーを味わうひと時となった。

    増田地区は内蔵が今に残っており、幾つかの家屋は見学ができる。その一つ、“旧石田利吉家”に足を運んでみた。地元の方の案内で、酒蔵、そして病院を代々営んできたこの土地の文化人の遊び心に触れる。この辺りで一番大きな杉を用いた内蔵の梁、至るところに施された意匠の数々、一目でセンスの良さが分かる洋間。かつてはレオナール・フジタが2カ月滞在し、制作に励んでいたそう。

    ここからは町中を離れ、湯沢市小安峡へ。まずはチェックインのために、“とことん山キャンプ場”へ向かう。雪深い山間のコテージが今日の宿泊場所だ。人の背丈よりも高い雪の壁の間を歩いていると、道に迷いそうになる。なんとかコテージにたどり着くとすでに暖房が稼働しており、快適な暖かさになっていた。内装はシンプルだが木の温もりが感じられ、清潔に保たれている。思った以上の雪の深さと空気の冷たさにやや不安もあったが、どうやら過ごしやすい夜になりそうだ。

    小安峡は江戸時代から続く温泉地だ。となれば、ディナーの前にひと風呂浴びていこう、という流れになるのは当然だろう。今回は、日本秘湯を守る会の会員宿“阿部旅館”を訪ねる。辺りには湯気が立ち上り、駐車場から硫化水素の匂いが漂っている。宿の中は床暖房で快適だ。階段を降りたところにある川沿いの露天風呂には、ところどころ湯の花が浮かび、冷え切った外気とじんわり熱い湯加減のコントラストがたまらない。体に染み渡る硫黄泉を堪能していると、ちらほらと雪が舞ってきた。

    心も体も整った後は、山を下りて、日本三大うどんの一つ・稲庭うどんを味わえる料亭“創作懐石 養心館”へ。ここで、湯沢市岩崎から”ヤマモ味噌醤油醸造元”の七代目・高橋泰さんも合流。伝統産業を継承するキープレイヤーを迎え、県外では珍しいひろっこや鰰寿司といった食材が次々と振る舞われると、自然に会話も弾んでいく。締めの稲庭うどんの上品な香りと喉越しに舌鼓を打てば、楽しいひと時もあっという間だ。外に出てみるとしんしんと雪が降っていた。しかし、発酵都市の夜はまだまだこれからなのだった。

    すっかり雪模様の湯沢駅前にたどり着き、水分の多い雪にまとわりつかれながら、“情”という看板を掲げた店のドアを開ける。カウンターのみの小さなスナックを切り盛りする二人は姉妹だそう。懐メロが流れる中、秋田弁でしばし会話を楽しんだ後は、地元民の愛する“慶(よろこび)”に場所を移し、木村酒造の飲み比べセットを注文したところで、もう一人、東京からの客人を迎え入れる。彼は日本生まれベルリン在住のメディアアーティストで、日本では戦略デザインファームのプロジェクトなどに携わる。この3月末まで日本に一時帰国中のところに声を掛けたのだった。

    時計の針が12時を回りかけたところで一区切り。昼間とは打って変わって真っ白な雪道を走り、“とことん山キャンプ場”へ戻る。コテージに着いても、もちろん宴は終わらない。山形県山形市の純米酒専門店“La Jomon”をはじめとした銘店で仕入れた日本酒やヴァンナチュールに、合わせるのはもちろん地の物。秋田県羽後町にある“明通りチーズ工房”のナチュラルチーズ。そして、ポーランド生まれで秋田弁を操る職人が手掛ける“ポルミート”のハムやソーセージ。思わず手が伸びる酒と肴、そして尽きることない会話の力を借りて、心ゆくまで夜を楽しむ。瓶も皿も空になったところで、降りしきる雪をかき分け、皆を24時間入浴できる露天風呂に連れ出す。凛と澄んだ冷気、肌にふわりと落ちる雪の粒、心と体を緩める硫黄泉。何をするにも贅沢になってしまう夜だ。

    真冬にもかかわらずコテージの暖かさたるや。一同ぐっすりと眠り、目覚めれば、昨夜残したはずの足跡がすっかり雪に埋もれていた。晩餐会の名残の片付けを終え、車を覆う雪を払い、朝食をお願いしていた“山の民宿 鳳”へ。眠気の覚めきらぬ体に、ぼだっこ(塩鮭)と梅干しの塩気が実に刺激的。わらびにショウガとマヨネーズの組み合わせも、山の幸に恵まれる土地ならではの知恵が生んだ意外な美味しさだ。秋田の郷土料理である鱈子の炒り煮も嬉しい。

    しっかりと腹ごしらえした後は、「沼を観に行く」とだけ告げられてモーニングハイクに繰り出す。山間の小安峡から、冬季通行止め区間を迂回してさらに山奥へ。車の外気温度計はマイナス4℃を指し、降る雪も容赦がない。行き止まりになっているところで車を停め、小安峡の名湯“元湯クラブ”の佐藤忠明さんと合流。東京に生まれ15年間に湯沢に移り住んだ案内人の背中を追って、道なき道を進んでいく。林を抜けると、パッと視界が開けた。“桁倉沼”だ。凍った水面の上に、雪原が広がっている。まばらに見える人工物は、ワカサギ釣りのテントだそう。自然の壮大さ、厳格さの前に、人間の存在があまりにもちっぽけに感じられた。だからこそ、白で覆われたこの景色に美しさを感じたのかもしれない。

    冷え切った体を車に押し込み、山を下りた。湯沢の中心部は晴れ間が覗くほどで、少しほっとする。目指すは、“ヤマモ味噌醤油醸造元”。昨夜も同席してくれた高橋泰さんに導かれてヤマモファクトリーツアーが始まった。「伝統産業は革新を重ねてきたからこそ残っているはずなのに、マーケットは変化を求めない。どうしても前年踏襲になりがちだが、それは性分として面白くないんです」と語る七代目は、コンセプトとデザインの両立したプロダクトを新たに手掛け、四代目が残した庭園を整備して仕込み水を融雪に利用できるようにし、カフェとギャラリーを開いた。世界をまっすぐに見据えたクリエイティビティと、初代・七之助をはじめとした祖先の築き上げたレガシーに対するリスペクトが融け合う現場がここにある。

    発酵都市の片鱗に触れ、五感をとことん刺激された一行。しかし、旅は終わらない。ディープな夜を過ごすにはうってつけの街が、東北にはまだまだある。向かうは、山形県新庄市だ。到着したのは19時過ぎ。新庄駅から徒歩圏内に位置する一泊4000円の宿“とまれ屋旅館”でチェックインを済ませる。金山町と新庄市でイタリアンレストラン“ラ・カスターニャ”、“ルカノン”を経営する栗田晋史さんが今夜のナビゲーターだ。彼が開業を控えたワインバー“カスターニャ”にて、買い付けたヴァンナチュールを3本空にし、この長い夜が開幕した。

    「この街の娯楽は飲み歩きしかない」

    彼の言葉ははじめ自嘲めいて聞こえたが、きっと「飲み歩かずしてこの街の夜は語れない」と言いたかったのではないかと思う。一区画に多種多様の飲食店がひしめいており、そこでは新庄名物というよりむしろ多国籍料理、様々なスタイルの飲食体験が味わえる。飲み歩くのに適しているからこそ他店舗との差別化が求められ、その分競争も激しく、だからこそ良い店が残っているという構図があるようだ。

    この日、記憶が正しければ6つの店舗をはしごしたはずだ。韓国料理店“アリラン”にて絶品チヂミ、スンドゥブとともにマッコリを嗜み、一串50円という破格の焼き鳥屋“助六”で焼き鳥と瓶ビールを、マルハンが運営する“バルDE酒場MARU”でハイボールを、独自進化を遂げた酒の卸売店“味おんち”でクラフトジンを立て続けに呑み、その後スナック“クレスト”、バー“ナイトクラブ”へと流れる。時刻が0時半を回り、解散するころには一同心地よく千鳥足になっていた。

    はち切れんばかりに詰め込まれた48時間を過ごし、翌朝、東京へと向かう車内は幸福な疲労感に包まれていた。ふらっとこの街に降り立ったとして足を踏み入れることのなかったディープなスポットに、後ろ髪を引かれているのかもしれない。ローカルは、ふつふつと発酵している。しかも検索エンジンがほとんどリーチできないところで。そして、また機会を見つけて訪れようと思うのだ。まだまだ何かがあるに違いないはずだから。

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